Twitterを見ていると、
不登校を改善出来なかった親が、
「子供の気持ちに寄り添ってあげて」
「子供を信じて待ってあげて」
とこんなツイートばかりですが、
「厳しく指導して欲しい」と思っている、
不登校の子供も母親も必ずいると思います。
私がそうだったからです。
私は、不登校しているときに、
「こんな自分は嫌だ」
「誰か私を変えて下さい」
「甘ったれている自分を何とかしてほしい」
と思っていました。
両親とも、私を厳しく指導することはなかったからです。
まさに
私に寄り添い、私の気持ちを重視してくれていました。
私は、
こんな生活をなんとかしてもらいたいと思っていても、
自分ではどうしても「甘えてしまい」
自分の管理が出来ない状態でしたので、
こんな自分を変えてくれるのは、
「厳しく指導してくれる人しかいない」
と思っていました。
当時、後に大問題となったヨットスクールがテレビで紹介されていて、
私は、そこに入りたいと思っていました。
あれくらい厳しければ、
自分を変えてもらえると思ったからです。
この場合も、
「自分が変えられる」ではなく、
「自分を変えてもらえる」
と受動態でした。
それくらい、
誰かに自分を変えてもらいたいと思っていたのです。
人間は弱いです。
自己管理が出来る人など極々少数です。
オリンピック選手でさえ、
自己管理は難しく、
厳しいコーチの指導があるからこそ、
毎日の厳しい練習にも耐えられるのです。
耐えられるというより、
耐えらざるを得ないのです。
毎日、ゲーム、ネット三昧の不登校の子供が、
自己管理など出来るはずもありません。
当時の私のように、
こんな自分をなんとかしてもらいたい。
厳しい指導で、自分を変えたい。
と思っている子は、
私以外にも必ずいると思っています。
これは、母親にも言えます。
私が指導した母親は、
「厳しくしなければいけない」
と思っていても、
どうしても出来ない人ばかりでした。
そんな母親に私は、
「お母さんは、これを必ずやって下さい」
と言って、お母さんにも厳しく指導しました。
お母さんは、
私に「必ずやって下さい」と言われているので、
やらざるを得ないのです。
私が指導したすべての母親が、
「厳しくしていただいてありがとうございます」
と言っておりました。
このように、
当時の私のように、
自分を何とかしてもらいたいと思っている、
子供も母親も必ずいると思っております。
不登校改善《一寸先はバラ色》
淺海正勝